酒豪こまちです。
大曲の花火の次の日は...。
地元湯沢の三大祭のひとつ!!!
「愛宕神社祭典 大名行列」がありましたぁ。
約300年の歴史と、格式のあるお祭りです。
正徳四年(西暦1714年)初めて町になった際に、
愛宕神社祭典の余興として行ったのが始まりといわれていますが...、
もっと前から行われていたという説もあります。諸説あるんだね。
佐竹南家5千石の城下町だった湯沢。
その頃の町は、武士の居住する【内町(うちまち)】と、
町人・百姓の住む【外町(とまち)】に分かれていました。
城下にある各内町の持ち回りで年に一度「大名行列」が行われており、
基本的に内町に住む者しか参加できず、
家の格の違いでやれる役があったり無かったりと...
まぁ、結構 お堅い祭りだったりします。
私が子供だったの頃も、まだこの持ち回りシステムは健在で、
「なんで見るだけで参加できないんだろう?」と不思議に思っていました。笑
そんな格式のあるお祭りですが、時代の流れ、長く続く不況、
少子高齢化の影響なのか、規模縮小の一途を辿ってゆきます。
「昔はもっと豪華だったのに...」「もっと行列長かったよね...」と耳にするようになりました。
「大名行列」というだけあって、結構お金が掛かります。
「持ち回りとか寄付とか無理!!」「うちの町内はもうやめる!!!」みたくなりまして、
現在は「湯沢市大名行列保存会」という団体が毎年開催しています。
私は、湯沢のお殿様である佐竹南家の大名行列を
模したものをお祭りにしたんだと、ずっーと思ってました。
最近・・・佐竹南家は大名じゃないと知りましてね、衝撃走る。笑
(ずっと湯沢に住んでたのに...無知...)
ならば何故、「大名行列」というお祭りが始まったのか...?
参勤交代という制度があったころ、現在の秋田県内にあった、
佐竹久保田藩20万石、六郷本庄藩2万石、岩城亀田藩2万石の大名たちは、
湯沢を通って江戸へと行き来していたそうです。
湯沢の人たちはずーっと この参勤交代の大名行列を見てきました。
大名たちは自国内を通る時、民衆に威厳を見せつけるために
立派な服装を身にまとい、人を大量に雇ったうえで
実際に必要な人数より多く見せることがよくありました。
湯沢の町民たちにはその大名行列がさぞ豪華絢爛に見えたのでしょう。
それを地元の神社の祭典で模してやってみよう!!!とゆーことになったようです。
(※数年前の画像です)
佐竹南家のお殿様も
「年に一度くらい民衆が大名の
真似事をしてもいーんじゃね?」と言ったとか言わないとか...。
いずれにせよ、お殿様もこの祭りをお楽しみになられたとのこと。
とりあえず、一通り 夏祭りは終わりました。
朝晩はとても涼しくなり、すっかり秋です。
来月には稲刈りも始まるかな...。
それが終わると...いよいよ、仕込みが始まります!!!
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